第23回 ありがとう

山猿

2011年10月07日 12:43

生存競争を勝ち抜いた曹操と劉備。

春から夏へ。


6月上旬。

水温が15度で推移してたのに、いきなり気温が上がり水温が20度にまで急上昇。

慌ててクーラー始動。
水槽用クーラーの始動をギリギリまで引っ張りました。


曹操に白カビが付きましたが、それはすぐなおりました。



6月 中旬。
子供たちがドバミミズをとってきたので、与えてみました。


劉備が巨大ミミズを補食。






自分より体長が長いミミズを、時間はかかりましたが全部飲み込んでしまいました。
不思議です。


ミミズを与えた時、草も水槽に落ちてしまい
曹操がそれを食べてしまった。
岩魚は草を食べません。
食べられないものや口に合わないものは、普通吐き出します。

大丈夫だろうか?



7月になると気温も上がってきます。
岩魚飼育には厳しい季節です。




水温は17度。





海釣りに行った時、エサのオキアミが残ってしまいました。
貧乏性な私は、捨てるのは勿体ないから岩魚の餌にいいかも?
と思って持って帰りました。

帰ってオキアミの塩抜きをして岩魚に与えると良く食べる。
「これは良い餌だ」
とその時は思いました。


渓流釣りで残った生きてる川虫も与えてみました。






吐き出します。うちの岩魚たちは、餌として認識しないみたいです。

水槽で生きてた川虫も数日後すべて死亡。
水温が高いのか?水が悪いのか?





7月14日。

オキアミに飛びつくが、何か焦点が合わない感じです。
餌にくらいつくが、ずれてくわえる為、餌をうまく補食出来ない事がありました。

何かがおかしい。

岩魚を良く見ると2匹とも目が大きくなった気が・・・。
目玉が飛び出している気がします。

曹操には、目に膜がありました。でも、狂ったように餌を補食します。

これは、塩害なのか??
良くわかりませんが、オキアミの使用を辞め、しばらく様子をみる事にしました。



しばらくすると、体調も戻り元気な岩魚達。

セミを与えてみるもデカスギて食えず。





8月16日。

餌を与えてもあまり食べない。どうしたのか?
うちの岩魚は、毎年10月下旬に入ると餌を食べなくなるが一体どうしたのか?


とりあえず水換えをして様子をみることに。
水換えをすると体調が良くなる事があります。

多分、夏バテであろうとこの時は思っていました。








9月に入るとケンカが激しくなります。
目が合うとケンカ。
争う二匹は、餌よりケンカをします。
それにしても餌の食いが悪いのが気になります。



9月12日。
まったく餌を食べなくなりました。すっかり痩せてしまいました。

明らかにおかしい。心配になってきました。
水換えをしても体調は戻りません。

それでも、ケンカは激しい。

痩せた二匹でも、ケンカをします。
これが、岩魚の宿命なのでしょうか。













9月28日





劉備他界。








劉備 三才19センチ。




この瞬間、遂に曹操が天下統一を果たし、山猿渕の帝王に。

しかし、その曹操も、元気がありません。














9月30日










ついに、お迎えがやってきた曹操。









天国へ旅立っていきました。

曹操 三才21センチ。



二匹とも外見に異常ありませんでした。
死因は、内臓関係だと思います。

今までありがとう。(合掌)


第一部の飼育では、7年生きた岩魚


今回は何しろ早すぎる死。
第二部は、飼い主による毒殺と言って良いでしょう。

第二部開始直後、釣った鯉の卵も餌にしていました。
鯉の卵は食いが良く、争って食べていました。

当然、卵が無くなれば人工飼料しかないが、人工飼料を食べない個体は、次々に死んでいきました。
天然の餌を与え過ぎるとそれしか食べなくなってしまう。
結局、人工飼料を食べてくれた3匹が生き残ったのでした。




そして、最近与えた海釣り用のオキアミ。

塩抜をしたが完全では無かったみたいでした。
それに、釣り餌ですから、防腐剤とかいろんな薬品が混ざっていたのかもしれません。

早くも終わってしまった第二部。

2002年秋に岩魚の飼育を始めて初めて水槽に魚が居ない状態になりました。


岩魚飼育はこれからも続けていきます。別れがあれば出会いもあります。

今回の失敗を糧にして、また生粋の木曽ヤマト岩魚を飼育したいと思います。







水槽は日光消毒中。



今まで、水槽は実家の倉庫に置いてありました。今回、水槽の中が空っぽになったので、狭い自宅に持って来たかったのですが、嫁さんからは、却下されてしまいました。
残念です。




第二部 完。




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